東北地方太平洋沖地震
Author : tomato | 2011.03.12
昨日の東北地方太平洋沖地震が過ぎて、30時間越えました。
まだ余震が続く中で生活しています。
私が体験した東北地方太平洋沖地震は、職場が東京府中市で地震が発生したときデスクの下に入る命令があった瞬間・・・私はここでどうなるのか、と考えてしまいました。
地震発生時にすぐ窓を開いていましたが、結局机の下で身を守るのみでした。長いゆれの中家族はどうしているのか?家は大丈夫か?などで頭がいっぱいでした。
電車が止まって帰れない上体だったので、職場の体育館で避難をしました。そして数時間後隣の施設へ移り一晩泊まりました。幸いそこの施設にお布団とお風呂があり暖かく過ごすことができました。職員の方がおにぎりを結んできたり、近くのコンビにでお弁当など買ってきてくれて涙が出るほど嬉しかったです。
でも、心配事は解決したわけではありません。家族と連絡が取れず・・・心配のみでした。携帯電話、公衆電話から連絡してもつながらなく、ただ心の中で無事生きていればと願っていました。
ようやく携帯がつながったのが地震から5時間後でした。
家族の無事を確認、お互いに安心して次の日に帰る事を伝えました。
施設では、11人がテレビを囲んでニュースを見るだけでした。何度もゆれるあまり、浮いている上体、ふあふあして気持ちが悪くなって・・・眠いけれど寝られない状態でした。
そして、今朝9時頃施設を出て11時頃帰宅しました。生きている実感がしました。これからまだ安心できない状態が続くので、我が家で食料、水など確保しています。
でも、心配は爆発した福島の原子力です。こちらまで放射線が来ないようですが・・・・風に追われてくるのでは?と思って家から出ないようにしています。
東北地方太平洋沖地震で、インドネシア、カタール、アメリカ、ブラジルの家族や友達から連絡があり心配してくれています。本当に皆さんからのメッセージで助かっています。
子供のとき2回ほど〔死ぬ〕と思った事件がありましたが、今回で3度目です。次はどうなるのか?
猫のように7つの命があれば嬉しいです(^0^)

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