Dec
11
2008

父と母がブラジルに帰りました

Author : tomato | 2008.12.11

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Mangoの従兄弟が鎌倉を案内してくれました。
先日12月4日、両親が3ヶ月の日本滞在を終えブラジルに帰りました。

日本に来た時は残暑の厳しい時期でした。

それからあっという間の3ヶ月、今度は寒くなった日本を発ち真夏のブラジルへ。

滞在中は日本到着2日後の法事に始まり、親戚や知人を訪ね歩き旧交を温め、私の職場での講演会やラジオへの出演。またクリスチャンである両親は、いくつかの教会で講話を依頼されたりと忙しい毎日で、ろくに席を暖める暇もない状態でした。

さらに、昔からカメラが好きだった父は最近のデジカメに夢中で、ヨドバシカカメラやビックカメラに入り浸り、母は子供や孫、友人たちへのお土産探しで大忙し。百円均一ショップは楽しくて仕方がない様子。

来た時は2人でスーツケース4つだったのに、帰るころには荷物が膨れ上がり10個近いダンボールをブラジルに送っていました。

私もブラジル移民の話を聞きながら、いくつか記事をまとめるつもりでいたのに、そんな時間は殆どとれず、後で手紙にしてもらうよう約束しましたが、さてどうなるでしょうか・・・。

始めのうち、老体に鞭打って奔走する日々をヒヤヒヤしながら見ていました。それでも、本人たちはやりたいことを存分に堪能していたようですし、日本の生活を楽しんでもらえたのなら私にとってもこれほど嬉しいことはありません。

そんな中、ひとつ印象的な出来事がありました。

私の伯父(父の兄)が亡くなりました。

伯父は長い間病気で体調を崩していて、最近は80歳近い年齢ということもあり殆ど寝たきりになっていたんです。

日本に来た父がこの叔父の家を他の兄弟と一緒に訪れると、

「自分に逢うために日本に来てくれたのか?」

と言って伯父は喜んだそうです。

すると父は呆れた事に、

「違うよ、他に用事があったから来た」

と、本当のことを言って伯父を苦笑させたとか、まったく・・・・。

それでも伯父はとても喜んでくれて、その日は久しぶりに兄弟で楽しい時間を過ごしたようです。

それから2ヶ月近くが過ぎ、両親の帰国を1週間後に控えた日の早朝、伯父が亡くなったという連絡を受けました。

急遽、お通夜とお葬式が営まれ、さすがに父はしばらくガックリと落ち込んでいました。

しかし、それと同時に父の心の中には

「もう一度生きて逢うことが出来た、最後のお別れも出来た、間に合って良かった」

という思いもあったのではないでしょうか。

40年前ブラジルに移り住んだ頃は、二度と再び肉親とは生きて逢うことが出来ないと考えるのが常識だったそうです。

技術が進歩した現在、両国の行き来は随分便利になりましたが、日本とブラジルの距離を考えると、やはりは父は運が良かったと思えるのです。

後に成田の搭乗ゲートに向かう父の顔から、大きな仕事をやり遂げた満足感が感じられたような気がしました。

この伯父と父の事は、いくつかの国に散らばって住んでいる私の兄弟姉妹の現状と重ね合わせ、とても考えさせられる出来事だったんです。

さて、様々なスケジュールに追いまくられためまぐるしい3ヶ月が過ぎ、両親は新しい思い出を胸にブラジルへ帰って行きました。

今頃は、その思い出話を孫たちに話して聞かせているのかもしれません。

追記: 文章の中で叔父と書いてありましたが間違っていました。「伯父」に訂正しました。

日本語協力:Mango大先生

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コメント / Comentário[2]

素敵なお話をありがとうございました。
私も短い?人生ながらも、物事にはタイミングが大切なのよ、それも避けられないって感じのね、というような経験がいくつもあります。
今回のお父様のご帰国のタイミングは必然的なものだったのでしょうね。ドラマのワンシーンみたいですもん。
トマトさんにとっても充実した3カ月になったことと思います。

コナイツキーさん

今回の来日は運命的なものを感じました。

移民100周年という大きな節目にブラジルイベント、ラジオ、そして家族のことがまるで予定されていたみたいです。

両親との再会は8年ぶりでしたが、3ヶ月の間にたくさんの思い出ができました。

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