私家版 伯剌西爾(ブラジル)移民史 第4回
Author : tomato | 2008.08.18
前回の移民収容所生活(1)をアップした記事の続きを掲載します。
今回の記事を読んで日本人移民がブラジルへ移ったとき恥をかかないようにがんばったみたいですが、日本人としては当たり前のことでしょうね。子供のときからよく父に「恥ずかしいことをするな」と言われていましたが、今になってやっとその意味が分かってきました。ちょっと遅いかも知れないけど・・・
さて、初めてブラジルへ渡った日本人はとても良いイメージを与えました。そして、それは現在も続います。
ブラジルには「japonês garantido(ジャポネス ガランチード)」という言葉があります。
「日本人は保証される(信用できる)」という意味です。ブラジル人は、ブラジル式に親指を立てて、そう言います。
これは、海を渡った日本人が必死の努力で、ブラジル社会に積み上げてきた実績のおかげです。今回、移民史をブログに書きながら、そのことを改めて目の当たりにし、私達日系人の先輩にあたる日本人移民に対して深い感謝と尊敬の念を覚えました。
『税関の役人の話によると、彼らの荷物1000個の中に何一つ課税品も無く調べはほとんど二日もかかったが、こんなに規律正しく冷静にその所持品の取調べに立ち会ってただ一度もかくしだして、とがめられることの無かった人たちは、初めてであったという。』
『南欧移民の荷物など、汚れた衣類の小包と炊事道具のガラクタばかしで税関吏の立ち合うことも稀だったという。』
コレイオ・パウリスターノの記者の結論として述べている。
『このような清潔さ、規律正しさ、従順さというような日本移民の習慣や性格が労働の上でも発揮されるなら将来サンパウロ州の富は日本人に負うところが多く、彼らは生産活動の一分子とて、申し分のないものと認められることになるだろう』と記している。
以下は父のコメント。
この記事は移民80周年に出た本からまとめました。
日本人は恥ということに小さいときから教えられていたので移民した人たちは特に自分たちは第1回のブラジル移民として恥ずかしくない日本人という気持ちがあったのでしょう。この後、各ファゼンダ(農園)に入植したのですが、カフェー(コーヒー)の収穫が終わる頃は不作の年だったので大変苦労しました。
パパイ(父)たちもちょうど同じで日本で聞いた話とはまったく反対でした。それは移民とくに農業移民は誰でも経験したことで、今になると懐かしく辛いことは忘れて楽しい思い出ばかりが残っています。
第1回の移民を調べると、彼らは平均して一家族最高650万円から最低70万円を持っていたのですが、神戸を出るとき、移民会社から「一時会社に預けてサントスに着いたとき渡す」という約束が守られず、受け取るまでかなりの月日がかかりました。会社は政府からお金を借りていたので、預かったお金を他の支払いに使ってしまったのです。
でも、もし移民がそんな大金を持っていたら、逆に失敗していたかもしれません。
私家版 伯剌西爾(ブラジル)移民史はここで一休みします。
来月父が来日しますので、次回からは父の協力で本人が体験した移民の記事をアップしていく予定です。


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コメント / Comentário[2]
とうとう連載が始まりましたね。嬉しいです。そして、とまとさんのお父様が来日なさるとのこと感慨深いですね。何年ぶりなのでしょう。また新たな展開が楽しみです。
それにしても…日本人の「恥を知る行動」「我慢強さ」「礼儀正しさ」は、いまはどうなのでしょう。「信用性」は、まだあるほうなのかもしれませんが、先の3つについては自分も含めて自信がありません。メリットもデメリットも両面あるとは思いますが、100年の間に変化していることは確かでしょう。そういう意味では、明治時代の日本人、というものにも興味があります。
また!
No.1403 Posted by コナイツキー at 2008年8月20日 05:55 | 返信
No.1403のコナイツキーさんのコメントへの返信
返事を書くのが遅くなりまして、申し訳ありません。
久しぶりにブログをアップするので、時間がかかってしまいました。
> とうとう連載が始まりましたね。
父がまとめた記事は前から持っていましたが、アップするのがやっとできましたので、ホッとしています。
両親に会えるのは8年ぶりです。これを機会にもっと父の話を聞いて少しでも形に残せれば、と思っています。
No.1404 Posted by tomato at 2008年8月21日 22:10 | 返信
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