私家版 伯剌西爾(ブラジル)移民史 第3回
Author : tomato | 2008.08.15
今日は、新しいテーマをアップします。
日本人移住者の生活習慣や態度を見たブラジル人記者ソブラールが記録した記事を父が簡単にまとめてくれました。
移民の歴史で、日本人がブラジル人に残した印象は現在まで伝わっています。
日本人の熱心なところ、我慢強いところや騒がないところが記者の心に強いインパクトと与えたところが記録されています。
移住100周年記念を通してより深い絆ができると思います。
それでは、「移民収容所生活(1)」をご覧ください。
次回は「移民収容所生活(2)」をアップします。サントス港よりサンパウロ移民収容所に移動。
収容所の生活態度を見たソブラール記者の記事。
『サントスから3時間の旅で午後1時に着く。
この収容所は1886年6月15日に落成し、その後1890に改築され兵舎のような建物で収容人員は2000人であった。
午後5時の夕食だった。カランとした天井の高い大食堂に並んだ10のテーブルで2回にわたった給与された。メニューはバカリャオ(鱈)とジャガイモを煮込んだカンジャ(おじや)にパンだった。』
当時収容所の書記していた鈴木貞次郎の話によると(日本移民の)ために特別メニューで、通常は肉のスープとパンだったが干鱈は輸入品を使ってくれたこれはブラジル人の厚意であった。
コレイオ・パウリスターノの記事をを続ける
『移民たちは食事のあと自分たちに割り当てられた寝室を見るため出ていたが、彼らが去った後のサロンは完全な清潔が保たれていて、ブラジル人を驚かせた。タバコの吸殻一つ、つばを吐いたあとは無い。汚らしくつばを吐きちらし、タバコの吸殻を足でつぶす他の国の移民とは正に対照的であった。』
『日本移民はいつも規律正しく食事をした。そして最後に残ったものは先の者より2時間も遅れたのに、ヤジをとばしたり、ガマンできないで騒いだり、抗議の声をあげたりしなかった。』
『移住してきた日本人は一般に背が低い。頭が大きい(胴体が長くよく発達しているが足が短い)。14歳の日本人はわが国の8歳の子供と同じくらいだ。もちろんもっと背の高いものもいた。』
『しかし、特に注目したのは男子の体が頑丈で鍛えられていることだ。その黒い髪の毛は女性の大きな髪形において、特に目立っている。日本人移民は従順で社交性があり、我が国の言葉を熱心に学ぼうとしている。』
『また食堂ではご飯一粒、おつゆ一さじもこぼしていない。食事の後も食堂の床は掃除をしたようにきれいだ。紙くずやマッチのすりがらが落ちていない。』
『男たちはその妻を信用して自分たちのポルトガル語の勉強を中断しないために、日貨をブラジル貨に両替を妻に任せている。彼らは皆お金を持っていて10円から50円あるいはそれ以上であるが、皆お金を持っている。』


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